やる気の理由
「えーーーーーー!!」
真っ正面から、しかも至近距離で大声を出された藤田 浩之は、耳を抑えると椅子ごと後ずさった。
「大声あげるほどの事か?」
「だってだってだって」
机を挟んで座っているお下げ髪の少女、神岸 あかりは握った手を揺らしながら単語を重ねた。
「だって一緒の高校に行こうって言ったの、浩之ちゃんだよ」
「はぁ?」
間抜けなほど大きく口を開けた浩之には、そんな事を言った記憶などこれっぽちもなかった。
「前の進路調査票を出す時、浩之ちゃん、私の志望校、聞いたよ」
「聞いたけどよ。それがどうして、一緒の高校に行こうになるんだ?」
「だってそういう意味に取れるよ」
垂れ眼がちの眼で見つめる彼女は、本気でそう思っているようだった。
その思い込みが強固である事を知った浩之は、それ以上言うのをやめた。普段は聞き分けのいい彼女だが、頑固になるとトコトン聞き分けが悪くなるのを、幼なじみである彼は知っていた。だから、代わりにオデコにデコピンを食らわせる事しかしなかった。
「ううっ。浩之ちゃんヒドイよ」
額を抑え、涙目を浮かべて責める彼女を、そっぽを向いて無視をした。
『まったく、いつまでたってもガキなんだからなぁ』
中学三年の、しかもあと半年もすれば高校生になるというのに。浩之はそう呆れた。
9月も終わり、本格的な秋を迎えるこの季節。彼らは自分たちが「受験生」であるという事を思い知らされていた。
先日行われた模試の結果は、そのひとつと言えた。
自分の学力はどの程度で、どのレベルの高校に入れるのか、聞いてもいないのに教えてくれるのだ。それを判断材料として、進路を決定する事になる。
これから本番を迎える「受験期間」の幕開けを告げるモノでもあった。
それを朝のHR時に渡された浩之は、別段にいつもと変わらぬ、のんびりとした様子だった。予想通りの成績に「こんなもんだろ」と頷いただけだった。
だが、担任の方はそれではすまない。鋭い視線と共に、「もうちょっと本気で考えろ」と言い聞かせた。模試が示すような結果では、志望校に受かるのは相当に厳しかったからだ。
だがそれでも、浩之は平然としていた。
というのも、模試を受ける前に提出した進路調査票に書いた志望校に、本気で受かろうと思っていなかったからだ。進路の事など考えていなかった彼は、幼なじみが行くと言った高校の名前を、とりあえず書いただけだった。
だが、模試の結果と一緒に渡された進路調査表には、いい加減な事は書けないとわかっていた。担任が、「真面目に考えるように」とクドイぐらいに言ってただけに、さすがの浩之も少しは近い将来について考えることにした。
「とりあえず、行けそうなトコロを希望しておくか」
結局この程度しか考えず、前より数ランク落とした高校の名前を記入した。
それを提出前にあかりが見て、大声をあげるとは、浩之は思いもしなかった。
「ちょっとぉ。二人してなに騒いでんのよ」
近づいてきたのは、髪にシャギーをかけた女生徒だった。二人の共通の女友達、長岡 志保だ。
その姿に、浩之の顔がにわかに歪んだ。それを彼女は見逃さなかった。
「ヒロ。なにその顔」
「見ての通りだよ」
「なによその言い方。ムカツクわねぇ」
志保はカン高い声を張り上げた。
傍目からみるとイガミあってるように見えるが、挨拶のようなものだった。その証拠に、あかりはまったく心配している様子を見せていない。
「聞いてよ志保。浩之ちゃんったら……」
隣にきた親友に、事のあらましを話した。一通り聞くと、志保は鼻で溜め息をついた。
「まったく情けないわね」
腕を組んで見下ろす視線に含まれているモノに、浩之の眉が曇る。
「オメェに言われたくねぇな」
「ああやだやだ。負け犬の遠吠えってやつぅ?」
首を振りながら、ヤレヤレと言わんばかりである。
「どうせ模試の結果が悪くて弱気になってたりするんでしょ。意気地がないったらありゃしないわね」
「はっ?」
「まっ、しょうがないわよね。ヒロの事だから、よっぽどヒドイ成績だったんでしょ」
勝手に決め付けられ、浩之は憮然とした表情を浮かべた。
「そんなヒドかねぇよ」
「あら? だったらどれくらいだった訳ぇ」
言いたくはなかったが、馬鹿にされっぱなしはシャクだったので、正直に告げることにした。
最初は平然と聞いていた志保だったが、数字を聞いていくにつれ、だんだんと表情が強張っていった。聞き終わる頃になると、俯いてしまっていた。
「どうしたんだ?」
返答は、机を叩く大きな音だった。
予想もしなかった反応に、浩之だけでなく、あかりまでも思わず身をすくめた。
「ヒぃ〜〜ロぉ〜〜〜〜」
志保の声は、地獄の底から聞こえてくるような不吉な響きを持っていた。
「アンタねぇ。あたしをバカにすんのもいい加減にしなさいよ!」
すさまじい剣幕に、浩之は身の危険を感じ、思わず身構えた。
「キィィィ! ム・カ・ツ・クぅぅぅぅぅ」
地団駄を踏みかねない勢いの志保は、キッと視線をあかりに向けた。
「あかりっ! これからはもっと猛勉強するわよっ!」
「う、うん」
たじたじになったあかりは、ただ頷くしかできなかった。
「ヒロっ! アンタにだけは負けないわよ!」
捨てセリフを残すと、志保は勢いよく体を翻し、頭から湯気を出しながら去っていた。
残された二人は、呆然とするしかなかった。
「なぁ」
しばらくたってから、浩之は口を開いた。
「アイツ……。もしかして、あかりと同じ高校に行くつもりなのか?」
あかりは申し分けなさそうに頷いた。
**
「そういえば浩之。進路調査票は出したよね」
放課後。当番の校舎裏の掃除をしていた浩之は、同じく当番の佐藤 雅史に訊ねられると、ふてくされた様子で、持っていた箒に顎を乗せた。
「……僕、なにか悪い事、言ったかな?」
「べつに」
「それならいいけど。でもなんか……暗いけど」
幼なじみの友人は、童顔の顔に心配げな表情を浮かべた。
浩之にもその自覚はあったが、なんでそうなるのか、わかってはいなかった。この訳のわからない気持ちが、帰りのHRの時に進路調査票を提出するのをためらわせ、いまだに学生服のポケットの中に押し込めていた。
「おまえは、やっぱあそこか?」
「うん」
唐突で代名詞だけの質問だったが、どうやら通じたようだ。さすがに小学校に通う前からの付き合いと言えた。
「まぁ、そうだよな」
改めて自分と他の幼友達との学力の差を思い知った浩之は、苦笑いを浮かべると、ふたたび校舎裏の落ち葉を掃きはじめた。
「浩之もそうだよね」
雅史の言葉に、ふたたび手が止まる。そして、ゆっくりと友人に振り返ったその表情はまるで、レストランで頼んだ物とまるで違う料理が出てきた時のようだった。
「違うの?」
雅史の方も意外そうだった。つまり、彼は本気なのだ。
「なんで、そうなるんだ」
「でも、あかりちゃんたちはそう思ってるよ」
「そいつは知ってる」
昼休みの事を思い出し、浩之の頬は思わず引きつった。
「おまえ、俺の成績ぐらいわかってるだろ」
「うん」
「なら、オマエらと一緒の学校にいけるかどうかなんて、わかるだろうが」
「でも」
雅史はにっこりと笑った。
「でも、浩之は頭いいから。きっと大丈夫だよ」
浩之は、その時どんな表情をすればいいのかまるでわからなかった。吹き抜ける風が、集めた枯れ葉を吹き飛ばしていくのにも気づかず、ただ立ち尽くすしかなかった。
「本気で言ってるのか?」
ようやく絞り出した質問に、雅史は間髪入れずに頷いた。
「…………。さっさと掃除、終わらせちまおうぜ」
頭を振ってこれまでの事を振り払うと、モクモクと箒を動かした。雅史も釈然としない思いがあったが、こちらも無言で仕事に励んだ。
結果的に当番はすぐに終わる事になった。
箒を倉庫に放り投げ、「掃除終了」と手をはたいた浩之は、さっさと教室に戻ろうとした。
「浩之」
その背に雅史が声をかけた。振り返った浩之は、幼なじみがいつになく真剣な顔をしているいのを見た。
「さっきの事だけどさ……」
「さっきの事?」
「うん。進路の事だよ」
進路。その言葉に、浩之の顔も引き締まる。
それを見て捕った雅史は、ゆっくりと口を開いた。
「浩之は、浩之のやりたいようにやればいいよ」
「……はっ?」
「同じ高校にいって、また四人でいまみたいに、仲良くワイワイやっていければ、って思ってたけど……。それが浩之の重荷になっちゃ、やっぱりマズイよね」
これに、浩之は前髪を掻き上げた。
彼は知っていた。子供の頃からの長い付き合いだから、幼なじみが自分の気持ちを抑えがちであり、表に出そうとしない事を。
そんな雅史の表情から、さびしさがこぼれ落ちていた。抑えようとしていても、にじみ出てきてしまっているのが、浩之にはわかった。そして、その意味も。
「もう一度聞くけどよ」
大きく息を吐き出してから、訊ねた。
「本気で俺が、おまえらと同じ高校に行けると思うか?」
「うん。浩之がやる気を出したら、絶対大丈夫だと思うよ」
「んな事、どうして言えんだよ」
吐き捨てられたセリフに、雅史は即答した。
「浩之だから」
その言葉に、その顔に、嘘は微塵も感じられなかった。
だがそれを、浩之は直視することはできなかった。
**
部活動へと向かった雅史と別れた浩之は、職員室に進路調査票を提出しに行こうとした。
しかし、足取りは重い。そして途中の廊下で、ついに足が止まる。
溜め息をひとつつくと、ポケットから、進路調査票取り出す。
そこに書かれた学校の名前は、彼の考えをそのまま現していると言えた。
別になにがしたい、という希望があるわけでなく、とりあえず行っとく。スポーツに熱を上げてもおらず、特別な勉強をしたいと思っていない浩之の高校への進学に対する認識は、その程度だった。
けれど……。
「高校が違えば、バラバラになんだよなぁ」
廊下の壁に寄りかかり、天井を仰ぎみた浩之は、そう呟いた。
あかりや雅史と一緒にいる事は、当たり前だった。幼稚園の頃からずっと一緒で、それが自然だった。これに志保を加えた四人で、いつも楽しくワイワイとやっていた。それが心地よかったからなおさら気づかなかったのだ。
その関係は、いつまでも続きはしないのだ、と。
だが気づいたところで、どうする事もできなかった。
浩之は学生服のポケットをまさぐり、模試の結果を引っ張り出した。そこには『現実』が書かれていた。
「しょうがねぇよな」
誰に言うでなく呟くと、二つの紙をポケットにしまう。そして大きく頷くと、ふたたび職員室へと足を動かした。
『意気地がないったらありゃしないわね』
ふと志保の声が聞こえた気がして足を止めた。キョロキョロと辺りを見回すが、彼女の姿は見当たらない。
それは、昼休みに言われた事を、心がリフレインしているだけだった。
『だってそういう意味に取れるよ』
つられて思い出すあかりのセリフ。今の浩之には、幼なじみがあんなにも意固地に言い張ったのかがわかった。
『同じ高校にいって、また四人でいまみたいに、仲良くワイワイやっていければ、って思ってたけど……』
そう言った時の雅史の表情が、強烈な映像となって、浩之の脳裏に映し出される。
三人がそれぞれにぶつけてきた想い。そして、未来像。
それはいま、共通の友達の心に、染み渡っていっていた。
浩之はそして思う。自分はどうしたいのだろうか、を。
廊下にじっと立ち尽くした彼は、おもむろにポケットから二枚の紙を取り出すと、じっくりとみつめた後、ビリッと破いた。
何回も何回も、細かく細かく千切る。そして、紙ふぶきのようになったそれを、廊下の窓から外へと放り出した。
一陣の風が吹き、大空へと散りばめる。ヒラヒラと舞うその姿を、浩之はじっと見送った。
「やるだけやってみるか」
その顔に浮かんでいるのは、なにかを吹っ切った者だけができる表情であった。
**
「えーーーーーー!!」
真っ正面から、しかも至近距離で大声を出された浩之は、耳を抑えると椅子ごと後ずさった。
「大声あげるほどの事か?」
「だってだってだって」
机を挟んで座っているあかりは、握った手を揺らしながら単語を重ねた。
「だって補習だ、なんて聞いてないよっ」
「誰が言った誰が」
その言葉のやり取りをしながら、ふと浩之はデジャヴを覚えた。一年前、高校をどこにしようか、っていう時に同じようなやり取りをした事がなかったか、と。しかし、回想に浸ってはいられなかった。自分を覗き込んでくる幼なじみを説得する事に、神経を使わなければいけなかったからだ。
「ただ、期末の試験の点が悪けりゃ、そうなりそうだ、って言っただけだ」
「じゃぁ、クリスマスに補習を受けなくていいんだね」
「それは……」
確率的に言えば、補習の方が高い。それを口に出すほど浩之は愚かではなかったが、聡明なあかりには簡単に見抜かれた。
「じゃぁ、一緒に試験勉強しよっ」
「はっ?」
「浩之ちゃんはやればできるんだから」
あかりの発言には根拠があった。高校入試の際、浩之は秋頃から勉強を始め、それまで成績に大きく差が開いていたはずのあかりたちに追いつき、合格した。
その時、確かに彼は「やる気」という武器を手にしていた。
けれど、高校に入るとすぐに手放してしまった。おかげで成績はいつも低空飛行だったが、本人は気にした様子はなかった。
別にそれを責めたりはしないあかりだったが、今回は別だった。
「とにかく、補習だけは避けよ。ねっ」
「そうは言ってもなぁ」
「四人で一緒に、クリスマスパーティーをしようよっ」
身を乗り出して、必死に訴えかける理由を知った浩之は思った。
『まったく、いつまでたってもガキなんだからなぁ』
その響きに、しかし呆れて様子はなかった。どちらかといえば、優しさに似た感情がにじんでいた。
「わかったよ」
長らく使っていなかった武器を取り出す事を示した浩之に、あかりの表情がぱっと明るくなる。
「うんっ。がんばろっ、浩之ちゃん」
「でも俺よか、志保の方が危ねぇんじゃねぇか」
「うん。だから、志保も一緒に勉強するよっ」
「……じゃぁ雅史も巻き込んでるだろ」
「浩之ちゃん。その言い方、なんか嫌だよ」
「まったく、別にクリスマスパーティー開かなくったって、どうせ四人で集まるんじゃねぇか」
「うん……。でも……」
心配げに訴えようとするあかりの頭に、ポンと手が置かれる。
「まぁいいさ。四人で騒げる間は騒いでようぜ」
そう言って浩之は、不器用なウィンクをするのであった。
<了>
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