夏休みの失敗談


 照りつける太陽。弾ける水飛沫。そして浜辺で遊ぶ水着ギャル。
「やっぱ夏の海はこうだよなぁ!!」
 均整のとれた肉体を誇るように、海パン姿の祐一は、砂浜で仁王立つように胸を張り、大きく頷いた。
 しかし、手放しに喜んでいる、という訳ではなかった。
 夏の青空のように明るかった顔に、蔭りを浮かばせると、首を後ろに向けた。
 そこには、一緒に来ている恋人の姿があった。
 浜辺に立てたビーチパラソルの下、膝を抱えてシートに座ったままの少女、美坂 栞は視線に気づくと、小さく手を振った。
 線の細い、透けるようは白い肌の少女は、裾の長いウィンドブレーカーを着込み、肌の露出を最小限に止めていた。その姿は、夏の浜辺の開放的な雰囲気とは、そぐわないものだった。
「なぁ。一緒に泳ごうぜ」
「いいですよ。祐一さん、一人で行ってきてください」
「だけどさぁ……」
「それに」
 少女は、横に置いてあった荷物を軽く叩いた。
「泳いでいる間に、荷物、とられちゃうかもしれませんから」
「心配のし過ぎだろ」
「祐一さんはしなさ過ぎです」
 話は平行線をたどるばかりであった。
「わかったよ。じゃぁ、ちょっと泳いでくるよ。すぐに戻ってくるからな」
「はい。そうしてください」
 栞の笑顔に送られて、祐一は青く澄み渡る海に飛び込んでいった。

「海、ですか」
「そう、海だ」
 アイスを口にしながら、栞に祐一は切り出した。
 夏休みが始ってからしばらくたっていた。
 デートをしていた二人は、小休憩に公園の芝生で休んでいた。木陰の下で、足を投げ出しながら、いつものバニラアイスを食べている所だった。
「せっかく元気になったんだ。それに夏休みといえば、海。そうだろ」
 Tシャツにジーンズ姿の祐一は、ヘラで栞を指差し、決め付けてみせる。
「そう……なんですか?」
 長袖のピンクのブラウスを来た少女は、大好きなバニラアイスを頬張りながら、小首を傾げてみせた。「そうなんだ」
「そう……ですね」
『よっしゃぁ!』
 表面では平静を装いながら、祐一は心の中で喝采をあげた。
 この計画は、夏休みが始まった当初から、ずっと機会をうかがっていた。そして、八月になろうかという今日、ようやく言えたのだ。嬉しさもひとしおというものだ。
 しかし、笑っていた栞の顔が、急に曇った。
「あ……でも」
「ん? もしかして泳げないのか? それなら俺が教えてやるぞ」
「それは……そうなんですけど……」
「家族が反対するかのか? 大丈夫。行っちまえばこっちのもんさ」
「それは大丈夫だと思うんですけど……」
「それとも……やっぱりまだ、泳げる程には、回復してないのか」
「それは大丈夫です」
 栞は慌ててて手を横に振って否定した。
「もう、大丈夫です。本当に」
「無理してないか?」
「ええ。ほぉら、こんなに元気ですよ」
 細い右腕でガッツポーズを作り、丈夫さを示してみせる。
 だが、祐一の顔は冴えない。
「海に行ったら、また入院するんじゃないのか?」
「もぉ、心配しすぎです。海に行くのなんて、へっちゃらですから」
「本当か?」
「本当です」
「本当だな」
「ええ」
 肩まで伸びた黒髪を揺らし、力強くうなずく少女に、祐一はニヤリと笑った。
「なら、行こうぜ」
「はい。って、ああ!」
 口を抑えた栞は、自分が計略にはめられた事に気づいた。
「祐一さん。ズルいです」
「ズルかろうがなんだろうが、栞は行くって、言ったんだからな」
「違います。言わされたんです」
「おんなじだ。そうだな、来週の月曜にでも行こうぜ」
「もぉ、勝手に決めないでください」
「やっぱ泊りはマズイよなぁ。日帰りできるとなると……」
「祐一さんっ!」
 声を張り上げる栞に、祐一はまっすぐな瞳を向ける。
「俺と一緒にいるのが、嫌なのか?」
「嫌じゃ……ありませんけど……」
「だったら、海、行こうぜ」
 断りきれない話の進め方に、
「そんな言い方する人、嫌いです」
 と言ってそっぽを向くしかなかった。
 もちろん、それが逆の意味である事など、祐一は当に承知だった。
「たのしみだなぁ。栞の水着姿」
 しかし、彼は気づいていなかった。
 そっぽを向いた恋人の顔に落ちる、影の正体を。

「ほらよ」
「わぁ。ありがとうございます」
 お決まりのバニラアイスを手渡されて、栞はにっこりと顔をほころばせた。
「しっかし、いつもバニラバニラ。たまには、別のアイスを食べないのか」
「食べますよ」
「……見た事ないぞ」
「それは、祐一さんが、いつも私のことを見てくれてないからです」
「俺はいつも、栞の事を見ているぞ」
「……祐一さん。そのセリフ恥かしいです」
「…………。そうだな」
 顔を赤らめた祐一は、照れ隠しに自分用に買ってきたアイスキャンディーを頬張った。
 大きなパラソルが作る日陰の下。二人はぎこちない沈黙に、どこか居心地が悪そうにしていた。
 夏の浜辺は、大変な賑わいだった。芋を洗う、というほどではなかったが、大人から子供まで、男女問わず、強烈な陽射しの中、水とたわむれていた。
 祐一の目の前を、ナイスバディなお姉様が、通り過ぎた。それを眼で追った祐一は、そのまま視線を隣の恋人にと向ける。
 栞は相変わらず、ウィンドブレーカーを脱ごうしていない。
 その下の水着を、祐一は早くみたくて仕方なかった。
『大人しいワンピースなんだろうなぁ。でも、もしかしたらビキニとかあるかも。いやいや、もっと大胆なハイレグも!!』
 健全な高校生らしい妄想を抱き、この日までに盛り上がり続けた祐一だった。
 それが来てみれば、だ。
 栞は、浜について着替えてから、ずっとこのウィンドブレーカー姿のままだ。
 雪のように白い脚に、クラリときたけれど、チラリズムに喜んでいる段階は、もう過ぎていた。
『そろそろ中身を拝みたい』
 じつに青少年らしい心だった。
「なぁ、今度は栞も行こうぜ」
 アイスを食べおわり、立ち上がると、祐一は持ち掛けた。
 しかし答えは、前と同じだった。
「あっ……。私はいいです」
「栞。それじゃ、海、来た意味ないだろ」
「海、見ているだけでも楽しいですよ」
「俺は楽しくないぞ」
「そう、ですか」
 栞は、膝を抱えた姿勢のまま、首を引っ込めた。
「なぁ。海に入ったら、本当はまた入院しなきゃ……」
「その手は食いませんよ」
「学習してるんだな」
「もちろんです」
「わかった」
 祐一は腕を組むと、大きく頷いた。
「栞は、海に入りたくないのか」
「……そんな事は、ないんですけど」
「浜辺で俺といちゃつきたくないのか」
「恥かしいこと、言わないでください」
「俺はしたい」
 きっぱりと断言する。
「だから、強引にでも、する」
 そして、膝を抱いた姿勢の栞を、強引に持ち上げる。
「きゃっ!」
 両手で抱きかかえる、いわゆるお姫様抱えというヤツだ。
 そしてそのまま、海へと小走りして行く。
「ちょ、ちょっと祐一さん。ズルいです。こんなのっ!」
 栞は暴れて見せるが、祐一の大きな手は、そんな抵抗などおかまいなしだった。
「ドラマみたいだろ」
「そんなこと言う人、嫌いですっ!」
 叫んでみるが、時すでに遅し。
 祐一は、栞を抱いたまま海へとダイブした。
「きゃぁ!」
 盛大な水飛沫が上がった。腰の辺りまでしか深さはなかったが、抱えられていた栞の全身は、水に浸かった。
 慌てて顔を水面にあげる彼女に、祐一はニヤリと笑いかけた。
「まいったか」
「まいったかじゃありません!」
 頬を膨らませると、その顔に向けて水をかけた。
 不意打ちに面食らった祐一だが、すぐに反撃を開始する。
「このぉ。やったなぁ」
「きゃぁ」
「それそれそれそれそれぇ!」
「もぉ。負けませんよぉ」
 そして二人は、盛大な水かけっこを繰り広げた。
「うわぁっと」
 脚を滑らせた祐一は、大きな水音とともに、転んだ。
 それを笑う栞だったが、なかなか浮いてこない。心配になって近寄ってみると。
「どわぁ」
 まるで怪獣映画のように現われたみせた。
 びっくりした栞だったが、すぐにその滑稽さに笑みをこぼす。
「このぉ、笑ったなぁ」
「だって、祐一さん……きゃぁ」
 祐一に脚をすくわれ、今度は栞が転ぶ番だった。
「もぉっ。ヒドイです」
「笑った罰だ」
 水に濡れて垂れ下がる前髪を掻き上げた彼の顔には、悪びれた表情など浮かんではいなかった。
「ところで栞。そんなに濡れたら……ウィンドブレーカー、重くないか」
「えっ? あ、そうですね」
「脱いじまえよ」
「でも……」
「濡れてるの着てると、溺れたりする危険もあるんだぜ」
 なんとか水着を拝みたい一心で、祐一は舌をフル回転させた。
「…………わかりました」
 うつむいていた栞は、決心の言葉をつぶやくと、濡れて肌にまとわりつくウィンドブレーカーを、ゆっくりと脱いだ。
「おお」
 思わず祐一は声を漏らしてしまった。
 予想通りのワンピースだった。紺色を基調に、脇に赤のストライプの入った水着は地味ではあったが、良く似合っていた。
 回りのお姉さん方のようにナイスバディではない。胸の辺りは、だいぶボリュームが不足していた。だが。
「あんまり、ジロジロ見ないでください」
 顔を赤らめ、モジモジする栞の姿は、じつに魅力的だった。
 日にまったく焼けてない白い肌は、まるで陶器のようだった。繊細なガラス細工のような彼女に思わず、
「キレイだよ」
 と呟く祐一。
「……祐一さん。恥かしいです」
「ああ。俺は恥かしいヤツだ」
「開き直らないでください」
 唇を尖らせる少女の言葉はしかし、彼の耳には届いていなかった。
「よし! 水着も拝めたところで、海でのひとときを存分に楽しもう!!」
 浮かれきった祐一は、沖へと向かおうと、栞の左腕を引っ張った。
「あっ!」
 驚きの声に、振り返った。
「あっ」
 その時、見てしまった。
 彼女の左腕に残る、紫色の痣を。
 栞は慌ててそれを手で覆い隠すが、白い肌にくっくりと残る不気味な染みは、祐一の瞳に焼き付き、消えはしなかった。
「ゴメン」
「あやまらないでください」
 うな垂れた栞は、にっこりと笑った。だが、それは悲しい笑顔だった。

 二人は浜に戻っていた。
 パラソルの下、並んで座っている彼らは、あれ以来、どちらからも口を開けずにいた。
 栞は、濡れたウィンドブレーカーを、また着ていた。そして、日陰に閉じこもるように、膝を抱えている。
 そんな彼女に、祐一はなんと言葉をかけたらいいか、わからなかった。
 くっきりと残る紫の染み。それは長い入院生活で、打ち続けてきた点滴の跡だった。
 地の肌が白いだけに、それはくっきり見えてしまう。
 それは、栞が病弱な少女であった事を思い出させる、辛く、悲しい思い出を呼び起こしてしまう刻印だった。祐一にも、彼女自身にも。
 「気にするな」と言うのは簡単だろう。確かに、初めて見た時に、そう言えたならばよかったのだろう。
 しかし、口から出た言葉は、「ゴメン」だった。
 祐一は、自分の失言に、後悔してもしきれない思いがしていた。
 気まずい沈黙が流れるまま、時間だけが立っていった。
「すみません」
 唐突に言ったのは栞だった。
「楽しいところに、水を差してしまって」
 舌をペロッと出して、おどけてみせる。
「祐一さんは、私のこと気にせず、もっと楽しんできてください」
「だけど……」
「いいんです。本当に……」
 ふぅ、と祐一は溜め息をついた。
 いつもそうだな、と。
 栞という少女は、我慢ばかりしていた。
 会った時から、残り少ない命を知り、求めることを諦めて。
 奇跡が起こり、もう我慢する必要はなくなったというのに。
 これはもう、癖なのかもしれなかった。
 そんな彼女を恋人に持った祐一は。
「よし」
 腰を上げると、浜辺に向かっていった。
 悲しげに見上げる栞の前で、その背中は振り返った。
「砂山を作ろう」
「え?」
「砂山作って、トンネル掘ろう」
「トンネル? ですか」
「そうだ」
 言うが早いか、祐一はしゃがみ込むと、砂をかき集め始めた。
「砂山にトンネル掘るのはなぁ、技術がいるんだぞ。ちょっと間違えると、すぐに塞がっちまう」
「……でも」
「それに」
 言葉を続けさせず、祐一は栞を見つめた。
「砂山のトンネル掘りは、海辺の風物詩だ」
「そう……なんですか?」
「知らないのか? 冬に雪だるまを作るぐらい、ポピュラーなんだぞ」
「知りませんでした」
「じゃぁ覚えておけ。中には、砂でお城を作る人もいるんだからなぁ」
「びっくりです。祐一さん、そんな事できるんですか」
「いやぁ、俺には無理だ。でもな」
 いたずら小僧の表情を浮かべると、祐一はこう言った。
「トンネル掘りは得意だぞ」
「本当ですか?」
「疑うのか? ならその証拠を見せてやる」
「はい。見せてください」
「じゃぁ、まず砂山を作るの手伝え」
「はい」
 栞はビーチパラソルの影から出ると、砂をかき集める祐一の前にしゃがみ込んだ。
「どれくらいの作ればいいんですか?」
「そうだな。大きければ大きいほど、掘り応えがあるぞ」
「じゃぁ、10メートルくらいの高さの、作りましょう」
「……栞はいっつもスケールがでかいなぁ」
「はい!」
 そして二人は、陰りのない笑顔を交わし合った。

 沈みゆく夕暮れの美しさに、改札から出た祐一は、思わず立ち止まった。
 その横には立つ栞もまた、同じ感覚を覚えていた。
「キレイですね」
「けだるげな気分にぴったりだな」
「……雰囲気、壊れます」
 上目遣いで責める少女に、祐一は平然とした様子で言った。
「じゃぁ、こういうムードの時は、どうすればいいんだ? ドラマなら」
「そうですね。こういう時は、やっぱり甘い愛の囁きでしょうか」
「ありがちだな」
「いいんです」
 ツンとすます栞の耳元に、祐一はそっと呟いた。
「愛してるよ」
 その一言に、少女の顔が真っ赤に染まる。
「ゆ、ゆ、祐一さん」
「ありがちなんだろ」
「それは、ドラマの中で、です」
「ドラマ、好きだろ」
「好きですけど」
「なら、いいじゃないか」
 そして勝ち誇ったような口元を緩める。
「恋人との初めての海の帰りなんだ。ドラマチックに終わらせようぜ」
「……ですね」
 栞は観念したのか、にっこりと笑ってみせた。
「じゃ、帰るか」
「はい」
 と、祐一は腰に手をあてた。
 それが意味する事がわからず、栞はキョトンとする。
「これって……」
「ドラマみたいだろ」
「……。はい!」
 そして、腕を組んで歩きはじめた。
 寄り添う二人の影が、夕暮れの中に消えてゆく。
 その途中、不意に栞が話し掛けた。
「ところで、祐一さん」
「? なんだ」
「海辺の光って、強いって知ってました?」
「突然なんだよ」
「夏の陽射しは紫外線を多く含んでいて、海辺に行くと、反射光でそれが増幅されるんです」
「へぇ、そうなのか」
「そんな中、日焼け止めも塗らず、なにも着ないで、一日中いたら、どうなると思います?」
「そりゃぁ、たっぷり日に焼けるだろう」
「そうですよね。それで、肌を焼きすぎると、お風呂に入るとき、とっても染みるって、知ってましたか?」
「……え?」
「軽度の火傷ですから。それに、翌日になっても、痛みはひかなくて、数日の間、ずっとその痛みは続くんです」
「ちょっと待て」
「寝るのも大変らしいですよ。背中つけると、痛くてしょうがなくて」
「栞!」
 恐いことを平気で言う少女は、「なんですか?」と言わんばかりに見上げてくる。
「おまえ、それ知ってて……」
「はい。ですから私、しっかりと日陰にいて、このか弱い肌を守ってたんです」
 祐一は、頬を引き攣らせずにはいられなかった。まさか、強引に連れていった事の仕返しを、こういう形で受けるとは、思っていなかったろう。
「大丈夫ですよ」
 クスリと笑うと、栞はこう言った。
「今度行く時は、私が日焼け止めクリーム、塗ってあげますから」
 満面の笑みを向けられ、祐一は「まぁ、いいか」と思うのだった。
 この絡ませた腕が、幸せであるならば、と。
 ただ、ちょっとヒリヒリしてはいたけれど。

<了>

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